「トネリライナーノーツ」編集者のしまいしほみが、実際に体験したことで得た発見や感じた思いを書き綴るのが「シマイクエスト」です。

「シマイクエスト」の第3話は、足立区を拠点とする子どもの理科実験・ワークショップの教室「わんだーラボラトリー」主催の和田由紀子さんと、足立区梅田にあるアートコミュニティスペース「らんたん亭」代表の中島正行さんにお話を伺って、「子どもの成長に寄り添う大人たち」の体験談をお届けします。
(体験日:2025年4月)
“できない”が増えている?――子どもたちの今

「子どもたちにとって、大切な体験ってなんだろう?」
そんな問いを私が持ったキッカケは、「ガチアダチラジオgachi.16」での和田さんのお話でした。「生活が便利になってきている一方で、小さい子たちは“できないこと”が増えている」「キャンプや海外旅行のような大きな体験も素敵だけど、靴ひも結びや服のボタンかけのような“日常の小さな体験”こそが子どもたちには大切なんだ」これらの言葉が、私にはとても印象的でした。
同じく“日常の小さな体験”の価値に目を向けている「らんたん亭」代表の中島さんと、「らんたん亭」でボランティアをしながらユースセンターで中高生と関わる私の3人で、“体験”をキーワードに、子どもと関わる中で感じていることや大切にしている視点について語り合いました。

「最近の子どもたちは、“ゆっくり”が苦手なんだよね」今回の対話は、和田さんのそんな言葉から始まりました。
例えば、授業でプリントが配られた際に、速く解き終わって時間を持て余さないように“ゆっくりと時間をかけて取り組む”ことが苦手な子が多いようです。また、持て余した時間に「何をしてもいいよ」と伝えても、時間の潰し方に戸惑ってしまう子も多い、と和田さんは話します。
「速くでも遅くでもない、そのあいだの“ゆっくり”ができず、黒か白かのようにハッキリしてないと納得がいかない子が増えているのは、“感覚統合”の一種が原因として考えられるんじゃないか思うんです」と、“感覚統合”について、水筒を使って次のように説明してくれました。

「この水筒にはどのくらい水が入ってると思いますか?水筒を手に取ったり振ったりしても構いません」と机の上に水筒を差し出します。
私たちは、だいたい水筒の7割程度と予想しました。判断理由は「重たさ」です。
私たちの回答に「重たさですよね。そう判断できたのは、腕の筋肉の張りや緩みなどの感覚情報を脳が整理し、体の状態を判断することで感覚的に水筒の水位を推測できました。このように、からだの様々な感覚からの情報を、脳がうまく整理して、適切な反応に繋げることを、感覚統合と呼びます」と和田さんは説明してくれました。
感覚統合は、6~7歳頃にはおおよそ身につくとされていますが、現代の子どもたちはそれが十分に育っていないまま小学生になるケースが少なくないそうです。

3歳ぐらいの子どもは、水筒に水を注ぐと勢い余り溢れさせてしまいますが、感覚統合が十分に育っていない小学生も、力加減がわからず勢いよく注ぎ溢れさせてしまうことがあります。自分ではちゃんとやっているつもりなのに失敗してしまうのです。
生活はどんどん便利になり、蛇口はひねる動作は軽くレバーを押すだけ、部屋の中も段差がなくフラットで安全です。「ポチッとすれば終わる。手間をかけなくてもいい。でも、その“手間”の中にこそ、子どもたちが育つチャンスがあるんですよね」と、現代の便利すぎる環境の積み重ねは、本来育つはずの感覚や動作の体験、失敗できる経験の機会を減らし、結果、感覚統合の発達を遅れらせていると和田さんは話します。
必要な体験は日常の中にある

子どもたちの姿を見ながら、「“ゆっくり”という動作や、時間の感覚は、生まれつき備わっているものではなく、育てていくものなんだ」と和田さんは気づきました。
例えば、自転車を全力で漕いだり、ピタッと止まったりすることは簡単でも、そのあいだの動き、“ゆっくり”漕ぐことはバランスを取るのが難しい。それは、「体の感覚がまだうまく統合されておらず、“ゆっくり”という感覚が身体でも心でもつかめていないから」と感じたそうです。

“できない”のではなく、“まだ育ってない”だけなんだという気づきから、「“ゆっくり”は練習して育てていくもの。今はその途中だから見守っていればいいんだ」と、子どもの見方が大きく変わったそうです。
そして、感覚統合の遅れなどから感じる子どもたちに大切な“体験”は、「実際の日常の中での些細な気づきや実感」ではないかと和田さんは考えます。加えて、その体験に言葉を乗せてあげることでゆっくりと行動と言葉がリンクされ感覚が育っていくのだと教えてくださりました。

和田さんからは興味深い話がたくさん出てきます。
「なぜ子どもたちに人気のあるキャラクターは、赤や青、黄色といったはっきりした色が多く使われてると思いますか?萌黄色のキャラクターなんていないですよね?」と和田さんは笑いながら問いかけ、中島さんと私は、「確かに…」とハッとします。
現代社会では「速さ」や「強さ」といった目立つ成果を評価する傾向があり、子どもたちも褒めてもらうために目立つものを求めます。“はっきりとわかりやすいもの”ばかりを与えられると、「ゆっくりさ」や、「弱さ」といった“曖昧な感覚”や、“中間の色”は目に留まりにくくなるので、その感覚が育ちにくくなっているのではないかと和田さんは危惧します。

「だからこそ、らんたん亭は最高の場所。こういう複雑さの中に“ゆとり”や“あそび”があるように思うんですよね」とワクワクした様子で和田さんは話します。
「らんたん亭に遊びにくる人たちはみんな梁の部分で頭をぶつけてます」と笑い、中島さんも子どもたちと関わる中で感じる課題について話します。
高校生に「料理は適当に作っていいよ」と促しても、“適当”や“自由”がどうすればいいかわからない様子があるとのこと。普段から決められた通りのことをやる生活が多いと、応用したり工夫したりするのが難しくなるため、「基本や未体験のことにも挑戦できるようになるにはどうしたらいいか」が、彼らをサポートする自身の課題でもあるといいます。
「わんだーラボラトリー」と「らんたん亭」の寄り添い方

現代の暮らしには、感覚統合の遅れや、便利さゆえに経験が乏しくなるといった課題が見られることがわかりました。そうした背景を踏まえ、「らんたん亭」や「わんだーラボラトリー」では、日々どのようなことを大切にしながら子どもたちと関わっているのか伺いました。
「わんだーラボラトリー」で和田さんが大切にしていることは、「あえてやらずに、子ども自身にやらせる」ということ。雑巾を絞って用意することもあえてやらず、子どもが自分で準備する時間を作る。濡らし加減や絞り具合など“ちょうどいい”を試行錯誤する体験を大事にしているようです。
学校支援員としては、「子どもたちが最後まで自分でやりきるのを見守る」という姿勢を心がけていました。

「らんたん亭」で中島さんが大切にしていることは、ちょっと不便で雑多な環境の中で“生きていくために最低限のことを子どもたちが自分なりに工夫しながら手を動かすこと”でした。
中島さんは料理やDIYが好きなので、子どもたちと一緒につくる時があります。お菓子作りや料理作りに興味はあるけれど、それをやる機会があまりなかった子が手伝ったり、DIYではものづくりに興味がある子が「らんたん亭」の改装を手伝ってくれたりしました。その中で中島さんの土台としてあるのは、「自分でできるようになったら、絶対楽しいし、楽だよね」という考えです。
「僕の場合、自分で必要な物や料理を工夫してつくれるようになると自己肯定感があがります。もしホームレスになったとしても、家を作れる自信もあります」と自身の経験を踏まえて中島さんは話します。

しかし、実際に手を動かすなかで、子どもたちが直面する“難しさ”も多くあります。例えば、釘を打つときの力加減や、ドライバーの扱いは大人でも簡単ではありません。「釘、めっちゃ難しいですよね」と和田さん。
中島さんは、「ドライバーも、ただ回せばいいものではなくて、回しながら押す力の加減が必要なので、回転がズレるとはずれる。自転車の運転に似ていて、体の一部として認識する感覚が必要になるんです。この“感覚”を身につけるには時間がかかりますが、だからこそできるようになった時には大きな誇りになるので、そこまで伝えられたらいいなと思ってます」と話します。
そして、この道具を使うことについて和田さんは、「道具は自分の手先の延長。だから、小さい子が棒を振り回すことも、実はそうした感覚を育てる大切な行為なんです。棒を振り回すのはダメって言うのに、ドライバーは使えるようになってほしいというのは、子どもにとっては酷なことなんです」と、小さい頃の行為には、何かしらの意味と理由があるのだと教えてくれました。

和田さんの言葉から、中島さんは「じゃあ、やっぱり山遊びってめちゃめちゃ大事ですよね。棒で木を叩くと“バシン”と反動が返ってくる。そういう、“体験してみないと分からないこと”を、子どもたちは実感できますよね」と自身の考えに確信を持ったように話します。
和田さんも頷きながら「“失敗”も含めて全部が学びですよね」と共感し、「自然の中が1番です。地面はフラットじゃなくてボコボコしてるし、風の強さや向きも日によって違う。空の雲の形も、匂いも毎回違う。そうした“変化だらけの世界”に身を置くことが、子どもたちの感覚を育てるんです」と言います。
中島さんは、料理やDIYをすることで感覚や生きるための力を養うだけでなく、当たり前のことに感謝できるようになるとも話します。「簡単なように見えることも実際に自分でやると難しいことが多いんですが、そんな時、周りの人からのアドバイスや先人たちの知恵に助けられ感謝する機会がたくさんありました。こういうことを感じれるようになると、生きる糧になるんじゃないかなと思うんです」と語ります。
子どもたちの変化と成長、そして、これからの私たち

子どもたちに働きかける中でどんな変化があるか?――そんな話も聞いてみました。
和田さんは、「単発のサイエンスクラスでは変化を見るのは難しいです。そもそも変化は目に見えにくいものでもあります。それでも、2年間ほど通ってくれている子の中には、粘り強くなったり、うまく時間が潰せるようになったり、友だちのやっていることに興味を持てるようになったりと、感覚が育ち統合されてきたように感じることがあります。そうなってくると、コミュニケーションも上手くとれるようになるので全体としてやりやすくなると思うんですよね」と話します。

中島さんも「らんたん亭」で2年間ほど中高生を見ている中で徐々に変化を感じてきたといいます。「はじめは、中高生同士に距離があったり、ぶつかりそうになったりしますが、共に過ごすうちに互いに興味を示し合い、認め合うようになり、先輩後輩関係なく教え合い、役割分担がうまれるようなコミュニティの成長が見られました」と話します。
学校のような集団の中ではどうしても、ひとりひとりの成長が見えにくくなりがちだからこそ、学校外のさまざまな場所で個人の変化や個性に目を向け、「ゆっくりとでも成長していること」、「やってみたいという気持ちに私たち大人が寄り添うこと」が、子どもたちの輝きに繋がるのではないか――そんなふうに私たちは語り合いました。

最後に、今後はどのようなことを大切にしていきたいのかを2人に伺いました。
中島さんは、自然や昔ながらな生活を取り入れていく「江戸っ子プロジェクト」を実現したいと話します。「DIYはもちろん、味噌は大豆から作るなど、昔はやっていたことを体験し、積み重ね、生き抜く力を手に入れられるようにできたらと思います。その中で、整ったルールで縛ることなく臨機応援に対応出来る余白を持った“雑な環境整備”をして、ひとりひとり対話しながら難しいことも時間をかけてやっていくことを今後も続けていけたらいいですね」と語ります。
「江戸っ子プロジェクト、めっちゃおもしろそう!その時はぜひ誘ってください」と和田さん。

加えて、和田さんは体験だけでなく、対話や臨機応変な関わりをする人が大切だと話します。
「便利ではない暮らしをしていた江戸時代の人たちのみんなが、コミュニケーションが上手で体が発達しているかというと、そうではない人も多いですよね。そうなると、体験だけでは十分ではないのだと思うんです。そこで大事になるのが、中島さんが話すような、ひとりひとりとの対話や、その子がやっていることをそばで見て、言語化したり、認めたりしてくれる人たちだなと思いました」
和田さんは言葉を続けます。「小学生には、言葉と感覚、実際の体験がしっかり結びつくように言語化することが重要です。例えば、『ひもをピンと張る』のような言葉に、具体的な体験と状態を結びつけて理解できるようにするなど。また、中学生になると、気持ちの言語化をすことに加えて、共感したり、以前との変化を伝えたりすることも成長の後押しになります。だからこそ、私は体験した後のアフターフォローも含めた関わりをしていけたらいいなと思っています」

この対談を通じて、“体験”という言葉の意味をぐっと深めて捉えることができました。特別なイベントだけでなく、日常の中の行動にこそ子どもたちが育つ機会があるということ。そのひとつひとつの瞬間に、寄り添い、言葉にして、共感することの大切さを改めて考えるキッカケになりました。
私がユース世代の子どもたちと日々話す中で、今どんなことにつまずきがあるかや、どんなことに興味があるのか、そんな“現在地”を知ることを大切にしています。そこから、その子にとって今必要なことを考えたり、小さな「やってみたい」を後押しをしたり。そんな日々の関わりもまた、子どもたちが自分の感覚に気づき、体で覚えていく“体験”になるのではないかと、今回の話から実感しました。
これからも、特別な体験だけではなく日常のなかで生まれる小さな気づきや感覚の育ちに寄り添いながら、子どもたちと関わっていきたいです。
わんだーラボラトリー
「らんたん亭」
https://rantantei21.wixsite.com/rantan

文=しまいしほみ(トネリライナーノーツ 編集者)
トネリライナーノーツ記事
https://tonerilinernotes.com/tag/shimai/


