日暮里舎人ライナー「西日暮里駅」より徒歩7分にあるフィットネススタジオ「studio景」のオーナートレーナーである、茂木慧太さん。競泳でインカレ優勝やロンドンオリンピック最終選考進出などの実績を残し、現在は太極拳の道を邁進するそんな彼が、その時のインスピレーションで書きたいことを書くのが「もてき式コラム」です。
#13では、「大切な事を伝えるには、“語るのではなく、示すべし”」をテーマに、コラムを寄稿してくれました。
突然ですが、みなさんはルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという哲学者をご存知でしょうか?「知っている!」という人は少ないと思うのですが、ウィトゲンシュタインと彼の哲学を知っている方にこのコラムを読まれると恥ずかしいので、知っている方はここから先は読まずにブラウザバックして下さい(笑)
正確に彼の哲学を学びたい方は、彼の著書や野矢茂樹さんの書かれたウィドゲンシュタイン関連の本を読む事をおすすめします。ここでは、あくまで僕がこの言葉から刺激を受けて自分なりに考えた事を書いてみたいと思います。
語るのではなく、示せ by ウィドゲンシュタイン
こんな僕もパパになってはやくも1年7ヶ月もの歳月が経ちました。この世界に産み落とされた娘も、今や「パパ」「ママ」「ちぇんちぇ(先生)」「あんまんっ(アンパンマン)」「ゔぁ〜い(バイキンマン)」と、少しずつ話せる言葉が増えてきています。また、大人の言う事を、何となく言葉を発した時の雰囲気や表情などで、どんなことを伝えたいのかを読み取っている感じもあります。
表情やしぐさ、態度、声のトーンや大きさなどの言葉以外のコミュニケーションを心理学の専門用語では「ノンバーバルコミュニケーション」と言います。反対に、それらを一切使わず、言葉のみのコミュニケーションを「バーバルコミュニケーション」と言います。人間は言葉の内容だけで相手とコミュニケーションを取っていると思いがちですが、実は言葉の内容以外の情報の方が、相手とのコミュニケーションでは多く使われています。
例えば、笑顔で「いいよ」と言うと肯定の意味を表しますが、眉間にシワをよせて語尾を強めて「いいよ」と言うと否定の意味を表します。同じ言葉でも、その言葉を発した前後の状況やその時の表情、声のトーンなどよって意味が変わってしまうので、相手と対面して話をする場合、純粋な言葉が持つ意味だけでコミュニケーションしている訳ではないのです。相手の表情や雰囲気などを読み取りにくいメールやチャット、TwitterなどのSNSで言い争いが起こりやすいのもこれら相手の情報が伝わり難く、言葉の意味のみでしかコミュニケーションできないためではないかと考えられます。
ここまで書いたところで、ウィドゲンシュタインの登場です。 彼の有名な言葉の中でも特に多くの人を惹きつけて止まない言葉があります。それが「語るのではなく、示せ」です。
この一言のために、ウィドゲンシュタインは世界の成立を写像理論と命題関数などを説明して、世界の全てを完璧に表現できる人口言語があると想定した上で、「そんな完璧な言語でも、語れない事がある」という事を証明します。非常に難解な証明の末に語られる言葉なのです(笑)
ここでは、それらを踏まえた「語るのではなく、示せ」ではなく、実世界に即した形で「語るのではなく、示すべし」を使いたいと思います。そのため、彼の論理哲学論考を読んだ事がある方は、その内容と今回僕が語ろうとしている内容には、あまり関係がない事をあらかじめ断っておきます。
語るのではなく、示すべし by茂木慧太
高校時代の話です。僕の高校には、毎朝校門に立って、登校してくる生徒を捕まえてはイチャモンをつけて叱りつけてくる体育の先生がいました。その先生は説教する時に、道徳的・倫理的に立派な素晴らしい事を必ず言っていました。しかし、その先生自身が立派だったかというとそんな事はなく、授業で差別的な発言をしたり、怒る時の言葉遣いが汚かったり。生活態度も決して褒められたものではなかったので、みんなから嫌われていました。
そうです、立派な事を「語る」だけなら、誰だってできます。しかし、誰でもできるが故に、薄っぺらなものになりやすく、言われた側としては「お前に言われても説得力がないよ」という感じで受け取られてしまいがちです。
では、どうしたら伝わるのか?「語るのではなく、示すべし」です。
特に、道徳や倫理、美などといった、明確な正解が分かりづらいものに関しては、言葉で「語る」のではなく、「示す」のが大事だと考えています。例えば、美について。美という概念を、「語る」事で相手に伝えるのは難しいですが、絵画や映画などの映像、もしくはメロディーなどの音を聞かせる事によって、美と言うものの一要素である鮮やかな色使いや、耳触りの良い音の連なりを、「示す」事はできます。これと同じように、道徳や倫理などについて、日頃から口だけで「語る」のではなく、日頃の行いや態度で「示す」のが大事です。
ちなみに、当然、全ての事柄に対して「示す」だけが有効な手立てではなく、素早く改善しなければならない事柄については「語る」方が大切になる場面もあります。しかし、あくまでも、これは短期的な効用を考えた時の話です。
僕の高校の体育の先生みたいな人が、なぜ存在しているのでしょうか?道徳や倫理に良いと言われる事柄をひとつひとつ語り、全て暗記させても、それではダメです。クレーマーのような横暴な人や、下品な人、セコいと言われてしまうような人の身近には、道徳や倫理について「語る」人はいても、「示す」人がいなかったからではないでしょうか。また、そういった道徳や倫理を「示す」本や作品などに触れてこなかったからではないでしょうか。
こんな事を言っている僕自身も、全てが褒められるような態度で常に生活しているわけでは決してありません。ただ、ご飯粒を一粒も残さず食べたり、家に上がる際に自分の靴だけでなく他人の靴も乱れていたら直したり、これらの事を普段から「他人に語らずに、自分自身に対して示す」事によって、いざという時に大切な事を伝える術になると考えています。
さて、ここまで掴みどころのない話に付き合って下さったあなたは、もう気付いているかもしれません。生意気にも「語るのではなく、示すべし」と言っている僕のこの文章は、語るなという事を語ってしまっている以上、最上のものではありません。粋か不粋かで言えば、不粋です。粋なあなたには、これを読み終えた瞬間、この文章の事を忘れて投げ捨ててほしいと思います。そして、物事には語れない部分もある事を胸に秘めて、自分のアイデンティティを示し続けていきましょう。
studio景
住所
東京都荒川区西日暮里1-61-4
ホームページ
https://studiokonlinediet.hp.peraichi.com/
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCwKfrNryhpjIDXV5cyUE8nA
文=茂木慧太(トネリライナーノーツ サポーターズ)
Instagram
https://www.instagram.com/keita.moteki/
Twitter
https://twitter.com/keita_moteki
トネリライナーノーツ記事
https://tonerilinernotes.com/tag/moteki/