足立区を拠点とする子どもの理科実験・ワークショップの教室「わんだーラボラトリー」を主催する和田由紀子さん(ゆっきぃ先生)は、足立区の学校支援員として様々な子どもたちを支援しています。
そんな“ゆっきぃ先生”が、個性あふれるユニークな子どもたちの物語を綴るのが、「子どものすることには“ワケ”がある」です。第3話は、ゆっきぃ先生と考える「“ズルい”の裏側」をお届けします。
メガネの実体験と“分かりにくい困った感”をかかえる子ども
こんにちは、あるいは、はじめまして。「わんだーラボラトリー」主催の和田由紀子です。
私は普段、メガネをかけています。なんと、小学校1年生の時から近視で、その頃(40年ほども前のことですが)はまだ幼い子どものメガネが珍しかったので、クラスで1人だけメガネを使っていたことをよく覚えています。なぜ、よく覚えているかというと、しょっちゅう「メガネザル!」などと、からかわれていたからです。また、「ちょっと貸して!」と同級生に触られて、曲がってしまったり折れてしまったりすることもありました。メガネの扱いについて、両親から口うるさく言われたことも、担任の先生がクラスのみんなに説明や注意をしていたことも記憶にあります。
今ではあまり珍しくない子どものメガネですが、それでも時々、昔の私のようにからかわれたり、勝手に触られて嫌な思いをしている子を見ると、胸がぎゅっとなるような気がします。何も悪いことをしていないのに、できることならメガネなんて使いたくないのに、どうして?という気持ちになるのです。
しかし、物珍しさもあって私のメガネやメガネ姿に興味を示していた同級生も、そのうちにメガネがどんな道具なのかが分かると、何事もなかったようになりました。あの子はメガネがないと黒板の文字が見えないのだ、ということも少しずつ浸透していきました。
はじめのうちは「遠くのものが見えないんだよ!」と説明しても、なかなか分かってもらえなくて「これ、見える?何本?」と手の指を目の前につき出され、(近視は目の前のものは見えるので)「え?それは見えるよ、2本でしょ?」と答えると、「見えるじゃん!」と言われていました。でも、メガネ歴(近視歴?)も長くなると「そこなら見えるけど、もっと後ろに下がってやってみてよ!見えないから!」などと、自分の見えなさを納得してもらえる方法が分かってくるのです。そうなると、メガネは、“物珍しい変な道具”から、“お助けアイテム”へと認識が変わり、落ち着いていくのでした。
さて、メガネは「みんなと同じようには見えなくて困っている人が使うもの」というとても分かりやすい道具です。“見えにくい”という、困っている人の立場に納得がいきやすく、また、どうやら本人が一生懸命努力しても見えるようにはならないらしい、ということにも気が付けます。だから、クラスで1人だけメガネをかけていたとしても、そのうちに誰もなにも言わなくなりました。
けれど、“とても分かりにくい困った感をかかえている子どもたち”が、たくさんいます。どんなに一生懸命やっても、みんなと同じようにはできない。そして、それは簡単には分かってもらえない。そう分かると、子どもたちの中には「いろいろな工夫をはじめる子」が出てきます。「ふざける子」もいます。「適当にやる子」もいます。「はじめからやらないことを選ぶ子」もいます。
みんなと同じようにできないことはとても辛いことなので、そうやって心を守っているのです。でも、どの子もみんな、本当はできるようになりたいと思っています。もしかしたら、大人もそうではないでしょうか?どうしたらできるようになるのだろう?どんな風に手伝ったらいいのだろう?そんなことを考えながら、いつも子どもたちを見ています。
子どもが放つ「ズルい!」の裏にある気持ち
りゅうせい(仮)くんは、文字を書くのが苦手である。一言で「文字を書くのが苦手」と言っても、いろいろある。
- 言われたら書けるけど、見て写すのは苦手
- 見たら書けるけど、言われても書き留められない
- そば(手元)で見れば書けるけど、遠くの板書を写すのは大変
などなど。いろんなパターンがあるだのけれど、たいていみんな「文字を書くのが苦手」と表現される。
どのパターンなのか見極めるのに、私はその子が鉛筆を持った瞬間から観察し始める。
- どのくらい黒板とノートを視線が往復するか
- 黒板を見ないで、聞こえたことに頼って書いている瞬間があるかどうか
- 書いた内容を読めているか、理解しているか
とか。板書を写すのがすごく苦手な子(クラスでダントツに書くのが遅いなど)が、例えば、言われたら(聞きとれたら)書けるけど、見て写すのは苦手なのだと分かったら、できることが見えてくる。支援員の立場なら横で板書を読み上げればいいのだし、担任の先生にはゆっくり読み上げながら書いてもらう。または、早く書き終わった子の何人かを順に当てて、板書を読んで貰うのでもオッケー。聞きとれたら書けるのだから、そこを補うようにするのだ。
りゅうせいくんのように、そば(手元)で見たら書けるけど、板書を写すのは大変という子は、こちらでメモに書いたものを渡したり、ノートにうすーく書いて写させる、という方法を取る。りゅうせいくんはまだ1年生なので、私が行く日は 「ノートに私がうすーく(全部、または途中まで)書くから、写して(なぞって)いいよ」と伝えている。
ある日、りゅうせいくんのノートを見た、しゅんすけ(仮)くんが言った。「なんで、せんせいがかくの?ズルい!」
しゅんすけ(仮)くんは、とても賢い子である。算数も国語もよくできる。特に、お話の中で登場人物の気持ちを考えて発表するときなどはキラッと光る表現をして、1年生なりの言葉なのに「よくここまで表現できるなぁ」といつも感心してしまう。そういう子なので、普段から先生の言うこと(意図)もよく理解しているのだ。でも、理解しているからといってその通りにやるわけではない、というころが、しゅんすけくんのチャームポイント。リーダーシップもあるけど、やんちゃをして、時々めっちゃめちゃに叱られることもある。私はそれでいいと思う、すごくいい。
そんなしゅんすけくんが「ズルい!」 と言った時に、まず私が言ったのは「いいの!」だった。無理やり押し通そうとした。これで、引き下がってくれれば、私としてはありがたかった。なぜかというと、本来は自力で書かなければいけないノートに、私がうすーく字を書いてなぞらせていることを「それは、りゅうせいくんの苦手を補うためだ」と1年生に説明するのが面倒だったからだ。
いや、正直に言えば、この「ズルい!」に対応するのが、私は本当に難しく思う。
りゅうせいくんは、文字が書けないわけではない。でも、他のみんなよりかなり苦労しているのだ、というのを1年生にどう説明すればいいのだろう?
しゅんすけくんは、引かなかった。「なんで?なんで、りゅうせいくんはいいの?」 と聞かれて、「あぁ、やっぱりな」と思いつつ、「こりゃ、めんどくさいことになったな」とも思ってしまった。
もっと早く気が付けばよかったのだ。こういう時に「ズルい!」 と言うのは、言った方も同じことで苦労していることが多い、ということに。つまり、しゅんすけくんも文字を書くのが苦手な子の1人なのだ。
しゅんすけくんは、文字をマスの中に収めて書くことにいつもとても苦労していた。筆圧が強く、消しゴムを使うときも力が入ってしまうので、ノートやプリントが破れたり、変にこすれたりする。お話はとても上手だけれど、文字も、絵も、簡単に色を塗る、という作業であっても、あまり得意ではなさそう。そして、彼はすでに、そこに少し苦手意識があるようなのだった。
だから、「ズルい!」は、 “なんで、りゅうせいくんだけ書いて貰ってるの?僕だってがんばってるのに!” という彼の気持ちも入っているのだ。私は「りゅうせいくんはさ、文字を書くのがみんなより少しゆっくりなんだよね。だから、先生が手伝っているんだよ」と言ってみた。
「ふーん」と、全然納得していない顔でしゅんすけくんは言った。そこでやめておけばよかったのに、「しゅんすけくんもお手伝い、いるかな?」と、私は聞いてしまった。「オレはいい!」と、しゅんすけくんは即答。そして、横で聞いていたりゅうせいくんも怒ったように「オレだってできる!」と、私からノートを奪い取って行ってしまった。りゅうせいくんは、普段は私のお手伝いを受け入れているのだけど、友達の反応を見て「これはどうやら恥ずかしいことだ」と思ってしまったようだった。
あぁ、これは失敗。両方を傷つけた。どうしたらよかったかなぁと考える、そんな日も学校の日々の中には、たくさん、たくさんあるのだ。
わんだーラボラトリー
文=和田由紀子さん
トネリライナーノーツ記事
https://tonerilinernotes.com/tag/yukki/
イラスト=堀井明日美さん