震災からのチャレンジ、地域と若者にエールを! 大沼あかねさん 「きくっちゃ南三陸 第1話 」

日暮里舎人ライナー地域のみなさんに、東日本大震災の被災地である南三陸で活動する人のストーリーをお届けする連載が「きくっちゃ南三陸 -大学生あーちゃんが届ける被災地の物語-」です。
東日本大震災が発生してから、令和3年3月11日でちょうど10年になります。新型コロナウイルス流行の影響で、人が集まることが難しい今、南三陸で活動する人のストーリーを地域のみなさんに届けることが、復興支援に繋がると考えました。
取材者をつとめるのは、南三陸の復興支援としてお寺で開催したチャリティイベント「第2回すきだっちゃ南三陸」のリーダーであり、大正大学の学生でもある、あーちゃんこと石橋郁乃さんです。

第1話は、南三陸で「自然卵のクレープ」の製造・販売や「自然卵農園」を営んでいる大沼あかねさんにオンラインでお話を伺いました。
(取材日:2020年8月8日)

zoomを使ってインタビュー
zoomを使ってインタビュー

今回取材をさせていただいたのは 「自然卵のクレープ」 や「自然卵農園」の大沼あかねさん(以下、大沼さん)農園で育てている地鶏が産んだ新鮮な卵「卵皇(らおう)」を使用したクレープの移動販売や、プリンの卸売りをされています。

私が南三陸町に訪れた際に、大沼さんが作ったクレープを購入したことがあったのですが、直接お話するのは今回が初めて。震災から10年経とうとしている今、震災当時の状況や大沼さん自身の活動、伝えたいことなど、たくさんの思いをお話していただきました。

取材前のやり取りで、明るい人だなという印象でしたが、話して見ると、とてもタフな一面も。常に挑戦をしていたい、寝ている時間すら惜しいと、最初の印象よりも遙かに明るく楽しい人で、2時間の取材があっという間でした。

地震の被害「まさか、ここまで酷いとは思わなかった」

――大沼さんは地震発生時はどこにいたのですか?
気仙沼市にある本屋の駐車場にいました。クレープの移動販売車で、いつも通り午後3時の開店に向けて、ひとりで準備をしていたときに地震が発生したんです。3月11日の3日前に大きな地震が来ていて、「大きな津波が来るぞ」と言われていたけど、来なかった。だから、3月11日の地震でも津波はないだろうと油断していました。こう思ったのは私だけではなかったから、逃げなかった人も多くいたんじゃないかな。3日前の地震がなければ、もっと逃げられた人がいたのかなと、今でも思います。

――その日の営業は中止したそうですが、それは何故ですか?
本屋さんの被害は本棚が倒れるくらい酷くて「今日はお店を閉めるよ」と言われて。そうしたら販売車にもお客さんは来ないと思い、帰宅することにしました。車を運転していたからちゃんと見ることは出来なかったけど、津波はすぐ後ろまで来ていたんだと思います。みんな考えることは同じだったのか、凄い渋滞が起きていたので、道の途中でおじいさんとかが自発的に車の誘導をしてくれていました。

――すぐ家に帰ることは難しかったのですね。
娘が3人いるのですが、末娘は当時まだ小学生ぐらいでその日は帰れず、会うことができませんでした。国道も全て津波にのまれ、通れなかったので、通ったことのない獣道のような山道から帰ろうしたけど辿り付けなかったです。ここで帰宅するのは難しいと判断し、一度、歌津にある自宅から40分の気仙沼市の実家に行くことにしたので、近くの高校に通っていた長女とは震災当日に会うことができました。町を見たら火の海で、ガスの工場がやられちゃったのかなっていう感じで、高台にある実家から見ていたのを覚えています。
まさかここまで酷いとは思わずに、一晩過ごしました。
次の日、どこを通ったかわからないけど、なんとか南三陸町に帰って、小学校の体育館に避難していた子どもたち2人と同居していた舅姑(きゅうこ)に無事、会うことができました。地震発生からしばらくは携帯が繋がらなかったし、ラジオでは同じニュースばかり流れていました。宮城県名取市には「閖上(ゆりあげ)」という地域があって、そこの海岸に200人の遺体というニュースが繰り返し流れていたので、自宅がある歌津町のことはわからないという状況でした。

――避難所で支援物資が平等に行き渡らないという話を聞くことが多かったのですが、震災当時に困ったことはありましたか?
地震発生から3か月は自宅にいましたが、とにかく食べ物に困りました。自宅にいる人も避難所で生活していた人もそれぞれ大変だけど、ご飯がなくなっていくことに関してはどうにもできなかったです。買い物が自由にできない。親戚も集まって大所帯になっていたのもあり、お米もあっという間になくなり、食料が尽きる頃にはジャガイモだけ食べていました。
ご飯を貰える場所はあったけど、家がある人は貰いに行きづらかったです。避難所の人が優先という思いが強かったと思います。食べ物以外だと、実家の母親が昔から常に買い込む人で、ちり紙とか準備が良かったのもあって、うちは困らなかったです。
そういえば、被災していたときは菓子パンばっかり食べていましたね。イチゴジャムが入った「いちごスペシャル」っていう菓子パンがいっぱいありました。何故かわからないけど当時は菓子パンが食べたくて仕方なくて、私だけかなと思っていたけど周りはそう思う人が多かったです。
買い物ができるようになってすぐは、長い行列がお店の前にできていて、みんな順番を守って誰も意地汚くすることなく必要な分だけを買う、という毎日でした。

震災をきっかけに、養鶏を始めることができた

――クレープの移動販売はいつ頃営業再開したのですか?
すぐにはしなかったです。3か月後に一家で北海道に移り住むようになり、実質5か月後に向こうで始めました。

――北海道に引っ越した理由をお聞きしても良いですか?
言い方が悪いけど、震災が次の行動をするチャンスだと思って、養鶏を習いに北海道への移住を決意しました。「自然卵農園のクレープ」という名前でずっと移動販売をしていて、以前から自分で育てた卵がほしいなと思っていたので、今しかないと思いました。本当は5年ぐらい活動するつもりで行ったけど、北海道にいたのは1年半ぐらいです。実は、舅がずっと自宅にこもっていてうつ病からの認知症になってしまい、姑ひとりでは厳しいということで帰ってきました。

――帰ってきてそのまま養鶏を始めたのですか?
夫が先に帰ってきて鶏の世話を始めていたので、その卵を使ってすぐに商売を始められました。クレープの販売は南三陸に帰ってきて2か月後ぐらいに、志津川の復興商店街に空き店舗ができたので、夫に仮設店舗を作ってもらって営業を開始しました。夫は何でも自分でやってしまうタイプの人なので、鶏小屋も友人と作ってました。当時は復興工事で忙しく、手があいている大工さんなんて本当にいなかったので、自分たちで作るしかなかったのもあります。

――移動販売をしている中でのハプニングはありましたか?
この仕事は道具を忘れただけで大騒ぎになる商売なので、毎日がハプニングです。そんな中でも、嫌なお客さんに会ったことは一度もないです。きっと、お客さんが良いか悪いかというのは自分次第なのかなと感じています。自分の態度が悪ければ、嫌なお客さんばかりになるので。移動販売の極意は、トラブルにどう対処できるかが重要なんだと思います。心がけているのは、いつでも楽しむこと。売り上げが落ちたこともあったけど、そんな時でも何かやれることがあるはず、と前向きに考えています。

頑張る若者を応援したいという欲求で活動を続けている

――大沼さんはnote(ブログ)を通して移動販売について文字にして伝える活動をされていますよね?いつから始めたのですか?きっかけも教えてください。
これは、つい最近始めたばかりなんです。きっかけはコロナで、移動販売の仲間を増やして活動を広めるためにnoteを活用しようと思いつきました。意外とこのコロナ期間は忙しかったです。移動販売車やプリンの卸売りに連日、人だかりができて、テイクアウト出来るって言うのがこのご時世で食を楽しめる最大の魅力なのかと思います。移動販売は自分の判断でどこにでも行けて、時間をどうやりくりするかも自分次第。そういうのに気がついている若者もいるのでは?ということで、広めるなら今だなと思い始めました。

――活動を若者に伝えたいと思う理由は何ですか?
楽に稼いでも良いんだよ、ということをとにかく伝えたいんです(笑)学生時代にバイトを頑張って「将来は良い職業に就かなければいけない!」と焦っている子が多いのをもどかしく感じています。保守的にならずに、自由な時間を作って遊んだり、新しいことをしたり、子どもと一緒にいる時間を長くとりたいという理由で商売をしてもいいって知ってほしいです。

――若者に対して何かしてあげたいという印象を受けたのですが、娘さんたちとはクレープ販売などについて話し合いはするのですか?
末娘が大学に入学して、母親としての役目がもう終わったなというのがあります。振り返ると「何かしたい」「行動したい」という若者たちを応援するのが大好きで、仲間になりたい、そんな若者を見ていたという欲求が、私にとって活動をしていく原動力です。
娘たちが選んだ道は、最終的に行き着く場所が私とは違うようですが、農業というくくりは同じなんです。だから娘達には「何か困ったときに都合良く使える大人」として私を見てくれればいいと思っています。ドライと言えばドライだけど、私は私で自分の人生を楽しむし、娘は娘達の人生を楽しむというのは大切ですよね。

南三陸町と大沼さんの未来

――南三陸町に戻らずに、北海道で生活を続けようと思ったことはありますか?
北海道にいる間、ずっと戻らなきゃいけないと思っていました。北海道でお店を出したけど、どこか根を張れないなというか、根を生やすのはここではないと思っていたので、ずっと続けるつもりでお店をやっていなかったです。南三陸町に帰ってきて、ここでやっていくというのを決めてから、プリン作りや卸売りを柱にするなどの挑戦をしています。
その挑戦の一つに、私の住む歌津という町を盛り上げたいという思いがあります。町の魅力の一つとして、田束山というある程度有名な大きい山があるのですが、もっと知名度を上げて活かすことができるのでは?と思っているのが現状です。
歌津といえば田束山と言われるような地域ブランドになることを最終的な目標としているので、「田束山麓の自然卵農園」など商品名に名前を入れるなどの工夫をしています。そうする理由は、田束山の名前がさらに知られる存在になれば町がもっと盛り上がると思ったから。なので、南三陸町で何かしなきゃという使命というよりかは、目標を達成したい思いの方が強いのかもしれません。

――生まれ育った歌津への思いが強いんですね。今後さらに町を盛り上げるために、南三陸に興味がある人や、若者にやってほしいことはありますか?
一緒に歌津を盛り上げてほしい。例えば、田束山に登った体験をSNSで発信してもらいたいです。遠くから南三陸町に遊びにくる時に、山に登るというのが選択肢に入っていたらとても嬉しい!
昨年、大正大学の学生でモジュールハウスをやった子がいたのだけど、南三陸町の人と関わって盛り上げるという面では、もう一息、もっと強引に高校生を連れて行ってほしいなと思いました。震災当時に小学校低学年だった子どもたちは遊ぶところがなく、遊び方を知らないまま成長してしまい、今でも外で遊ぶことを知らない子が多いです。確かに、カラオケも何もない町だけど外では遊べる。震災で海のイメージが強い南三陸町だけど、自然がとても豊かな町でもあるんです。 キャンプファイヤーをやったり、山に登ったりそういう半分アウトドアで半分パリピみたいな都会な遊びを、無理矢理でも連れ出して若者たちから教えてほしいです。現地の人と一緒に自然を活用してできる遊びを探して、盛り上げてくれるのが一番良いなと思います。

自然卵農園
ホームページ
https://sizentamago.jimdofree.com/
Twitter(自然卵のクレープ)
https://twitter.com/sizentamago2004
note(大沼さん)
https://note.com/oonumaakane

 「 きくっちゃ南三陸 -大学生あーちゃんが届ける被災地の物語- 」取材者の石橋郁乃
「 きくっちゃ南三陸 -大学生あーちゃんが届ける被災地の物語- 」取材者の石橋郁乃

文=石橋郁乃(「トネリライナーノーツ」サポーターズ)
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