ゆっきぃ先生と考える「俺って“ヘン”ですか?」 【子どものすることには“ワケ”がある 第4話】

子どものすることには“ワケ”がある

足立区を拠点とする子どもの理科実験・ワークショップの教室「わんだーラボラトリー」を主催する和田由紀子さん(ゆっきぃ先生)は、足立区の学校支援員として様々な子どもたちを支援しています。

「わんだーラボラトリー」主催で、学校支援員の和田由紀子さん(ゆっきぃ先生)
「わんだーラボラトリー」主催で、学校支援員の和田由紀子さん(ゆっきぃ先生)

そんな“ゆっきぃ先生”が、個性あふれるユニークな子どもたちの物語を綴るのが、「子どものすることには“ワケ”がある」です。第4話は、ゆっきぃ先生と考える「俺って“ヘン”ですか?」をお届けします。

私の周りにいる敬愛なる「変な人」たち

こんにちは、あるいは、はじめまして。「わんだーラボラトリー」主催の和田由紀子です。

突然ですが、みなさんの周りに“変な人”はいますか? 私の周りは、変な友人・変な知人がたくさんいます(笑)この“変な人”というのは、「変わっている」というよりは、「自分とかけ離れている」とか「自分とは全然違う」という意味で使っています。

「わんだーラボラトリー」ではイカの解剖も
「わんだーラボラトリー」ではイカの解剖も

人は、わずかな違いには親しみを持てますが、大きく違っていることには排除の気持ちが働きます。これは自らの身を守るために備わっているシステムなのだと思います。何をされるか分からないし、どうなるか分からないし、どうしていいかも分からないから、怖いのです。かかわりたくない、と思うこともあります。

私もはじめは、変な友人たちのことを、嫌な人・怖い人だと感じることが多かったです。また、今でも変わった人を見ると、とりあえす近づかないようにしています。いえいえ、大人ですから、うわべは平然を装っています。もしかすると、礼儀正しく、良い人そうに振舞っているかもしれませんし、人好きのする笑顔を浮かべているかもしれません。「また会いましょう♪」なんて、別れ際に口走っていることもあるでしょう。その場ではね。心の中では違っていても、そう振舞えてしまうのが大人です。

ゆっきぃ先生

でも、その人のことをよく知ると、その嫌だったところは魅力となり、その怖かったところは信頼に変わっていきます。緑色の髪の毛の人も、昼夜逆転している人も、会うたびに名前を尋ねてくる人も、いつもどこにいるか分からない人も、その人が、どうしてそういう行動をとるのか、どういう気持ちがそこにあるのか、分かるようになるからです。そうなると、嫌でもないし怖くもありません。魅力たっぷりの愛すべき人になります。

その人達は、私とかけ離れているからこそ、私にはないものを持っています。そして、それらを使って、ここぞという時にはいつも助けてくれるのです。そうして、付き合うようになった友人や知人が、私の周りの「変な人」です。

私は、そんな友人や知人を心から信頼しています(笑)でも、子どもたちは、この“ヘン”をポジティブにとらえることが難しく、いろいろな場面で迷子になっています。迷子になっている子どもたちに、軽々しく「大丈夫」とは言えません。ただ、“大丈夫の種”はお届けしたいと思って、日々向き合っています。

「俺って“ヘン”ですか?」

かおるくん(仮)は、車が大好きらしい。暇さえあれば、配布されたプリントやチラシを切って、車を作っている。かおるくんの作る車は、ほとんど紙だとは思えないくらい精巧な作りで、タイヤにはどこから持ってきたのか段ボールとストローと爪楊枝が使われていて、ちゃんと走るようになっている。運転席にはハンドルもあるし、ギアレバーもある。

授業でタブレットを使って調べ学習をする時は、たいてい車を見ている。車をカスタマイズできるサイトにアクセスして、何千万円もする高級車を自分好みに仕立て上げて楽しんでいたり、ネット上のマップからカーストアにフォーカスして、ショップを覗いていたりする。それらの説明を求めると、生き生きとして、ずっと喋っている。私にはさっぱり分からないカタカナ名の高級車の特徴を、懇切丁寧に説明してくれる。

そのかおるくんについて、担任の先生はこんな風に言っていた。「言葉をそのままに、受け取ってしまうんです」と。

「え?」と、私が聞きなおすと、先生は笑いながら言った。「例えば、社会の授業で、アメリカ、のことについて話をするのに、『先生、さっきちょっとアメリカに行って、聞いてきたんだけどね』と言ったら、『さっき?そんな時間があるわけないじゃないですか!先生の嘘つき!』と本気で怒っちゃうんです。 国語の詩の授業で、“夕日が背中を押してくる”という擬人法を説明した時も、『そんなわけない、意味が分からない、気持ち悪い』って言うし。冗談とか、例えとか、そういうのが一切通じないんですよ」と。

なるほど。そうかもな、と思うことが、友達のとの会話の中でも感じられた。 例えば、「俺、お小遣い10万円、もらってるから!」という子に、目を見開いて「お前すごいな」と返していたり、「今日の給食にコーラが出るんだってよ」と言われると、「マジで!やったな!俺、お代わりしようっと」と大喜びして、後から出ないことが分かると「お前、嘘ついたな!」と本気で怒っていたりする。

当然トラブルにもなって、「じゃあ、なんで、そんなことを言う必要があるんですか?」と噛みつくように言うかおるくんに、その都度、それらの“言葉の行間を翻訳”してきた。「アメリカに行ったわけじゃないけど、これはさっき行って見てきたことにみたいに本当のこと!って、言いたかったんじゃない?」とか、「帰り道に夕方の光が背中に当たって、それが、まるで後ろから押されているみたいに感じたってことでしょ?」 とか、「お小遣い10万もらってたら羨ましいだろ?って、本当はもらってないけど、言ってみたかっただけじゃない?」とか、「今日みたいに暑い日に給食に冷えてるコーラ出たらいいよな、あーあ、出ないかなあ!お前もそう思わない?って言いたかったんだと思うよ」とか。

「ふーん」ということもあったけど、「そう言ってくれればいいのに!」と、さらにプンプン怒ってしまうこともしょっちゅうだった。 みんなが笑っているところで笑えない、みんなには分かっていることがうまくつかめない。それは、時々すごく孤独なのだと思う。

一度、「俺って“ヘン”ですか?」 と、聞かれたことがある。「いや。なんで?」 と聞いたら、「別に」と言っていた。続けて、
私「かおるくんから見て、私は変じゃない?」
か「ヘンです」
私「あ、そう」
か「でも、先生は大人だから、もう別に、ヘンでも良くないですか」
私「え?そう?子どもだと困るの?」
か「うん、まあ、いろいろ」
私「そっか。大人でも、まあ、困るときもあるんだけどね」
か「ヘンでも、大丈夫?」
私「大丈夫な時と、そうじゃない時は、あるかも」
か「大丈夫じゃない時はどうするんですか?」
私「困ったら、助けてもらう。友達とか、家族とかに。」
か「ヘンでも、助けてもらえるんですか?」
私「当たり前じゃん。変なのは、悪いことじゃないもん」
か「そうなんですか?」
私「うん。誰でも分かってくれるわけではないけど、必ず助けてくれる人がいるよ。あきらめなければね」
か「ふーん。でも、ヘンな人が言うんだから、ホントかも知れないか。ふーん」
という、会話をした。

かおるくんは、言葉を選ばない。というか、選べないのを知っていても、これは正直、失礼極まりないのではないか(笑)でも、かおるくんには、友達も含めて味方がたくさんいることを、今度伝えてみようと思っている。そのままのかおるくんが、私は結構好きだよ、ってね。

わんだーラボラトリー

「子どものすることには“ワケ”がある」執筆者の和田由紀子さん
「子どものすることには“ワケ”がある」執筆者の和田由紀子さん

文=和田由紀子さん
トネリライナーノーツ記事
https://tonerilinernotes.com/tag/yukki/

イラスト=堀井明日美さん