「遅咲会も、ヒキワライも!仲間たちとつくる究極のエンタメ」中川ミコさん 【ガチアダチ サミット episode.9】

ガチアダチ サミット

「トネリライナーノーツ」が毎月第3日曜に足立区千住旭町にある古民家カフェ「路地裏寺子屋rojicoya」で主催しているイベント「オオシマナイト」で実施する公開取材が、「ガチアダチ サミット」です。

劇団「遅咲会」主宰、女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーの中川ミコさん
劇団「遅咲会」主宰、女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーの中川ミコさん

「ガチアダチ サミット」のepisode.9となる今回は、劇団「遅咲会」の主宰で、新宿区新宿にある女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーでもある中川ミコさんに登壇していただいて、「遅咲会も、ヒキワライも!仲間たちとつくる究極のエンタメ」をテーマにお話を伺いました。聞き手は、トネリライナーノーツ編集長の大島俊映が務めます。
(取材日:2025年3月16日)

待つ側から仕掛ける側へ!12ヵ月連続公演を完走した劇団「遅咲会」

「ガチアダチ サミット」登壇者の中川さん(右)と、聞き手の大島(左)
「ガチアダチ サミット」登壇者の中川さん(右)と、聞き手の大島(左)

――ミコちゃん、自己紹介をお願いします。

中川さん 劇団「遅咲会」の主宰をしながら、女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーをしている中川ミコです。

私は舞台女優をしていて、女優歴が13年になるんですが、コロナ渦でエンタメ業界が衰退した時に女優たちが働けるお店をつくろうと思い、2年前にカラオケバー「ActressBarヒキワライ」を新宿三丁目駅近くにオープンしました。女優であり経営者でもある人間です。

大島さんとは、昔に新宿ゴールデン街の飲み屋で知り合い、今回のお話いただいたので、今日はどんな方たちがいらっしゃるのかなとワクワクしながら来ました。よろしくお願いします。

劇団「遅咲会」主宰、女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーの中川ミコさん
劇団「遅咲会」主宰、女優たちが働くカラオケバー「ActressBarヒキワライ」オーナーの中川ミコさん

――「遅咲会」は以前に12ヶ月連続で舞台公演を開催したという、普通の舞台俳優さんがやらないようなことをやっているからミコちゃんはすごいなと思ってるんですが、まずはなぜ自分が主宰の劇団を持とうと思ったんですか?

中川さん  「遅咲会」は6年前に立ち上がったんですが、最初は劇団ではなくて、私の完全なプロデュース団体として立ち上げたんです。なぜ立ち上げたか単純なキッカケの話をすると、私は全然売れない女優で、にっちもさっちもいかず悩んでいた時期があった時、西野亮廣さんの『魔法のコンパス』という本を読んだんです。

西野さんは、お笑い芸人をずっとやりながら、絵本をめちゃめちゃ描いていた時期があったんですよ。絵のノウハウも知らないままとにかく描き続けてた時期があると知り、「私はこんなに女優をやっているけど、女優だけをやっていた時期ってあるかな?」と思ったんです。アルバイトをする時間すらもないぐらいに女優だけをやり続けた時期ってあるかなと考えたら、なかったんですよ。そこで、「そっか、私は何かをやるためのお金も人脈もない。じゃあ時間を費やすしかないんだ」と気付かされました。

それと、その本の中に「仕掛ける側にならないと、人生はレールに乗っていけないよ」というようなことが書いてあったんです。“女優は待つことが仕事”と言われるこの世界で、どんどんもっと“仕掛けていく側”になりたいなと思って、「12ヶ月連続公演をやるぞ」と決めたんですよね。

舞台初日のことを話す大島
12ヵ月連続公演の初日について話す大島

――ミコちゃんと出会って1番忘れられないのは、その12ヵ月連続公演の1公演目が終わった後、舞台のカーテンコールの際にめちゃめちゃ死にそうな顔をしてたから「1回目なのに大丈夫かな?」と思ってました。その時のことは覚えていますか?

中川さん やっぱり最初って忘れないもので、よく覚えてますね。舞台がどうやってできていくかというと、まず劇場を抑え、そこでどんな演目をやるか、誰とやるか、集客をどうするかを考えるんですよね。結婚式と同じだなと思っていて、式場を決めて、呼ぶ人を決めて、どんな式にするかなど準備がめちゃめちゃ大変で、あれほどしんどいことないと思っているんですが、それを、自分で劇団を主宰して何もノウハウのない状態から12ヶ月連続公演を始めた1発目となると、もう死にそうでした(笑)

その公演には主演として出ていたんです。それでも、初回だったのでお芝居が始まる前もずっと受付に立って来てくださるお客様に「いらっしゃいませ」、「今日はありがとうございます」と言ってたんですよね。すると、もう1人受付の方に「舞台監督さんいないけど何分までに何人来なかったらスタートしていいの?」と聞かれたんですよ。

舞台初日の壮絶さを語る中川さん
舞台初日の壮絶さを語る中川さん

中川さん 当時は何の話か分からなかったんですけど、遅れてくるお客様もいらっしゃる中、何人来なかったらどの時点でお芝居をスタートするかを決めるのは裏で舞台監督がやるんです。けれど、その時は舞台監督がいないような小さな舞台で、私が全てその責任を負っていたので、「もう始めます」と言って楽屋もないから舞台袖で急いで着替えて、舞台に出て――と、わけが分からなかったですね。

――あえて下世話な話をしますが、それだけ大変な思いをして儲かるんですか?

中川さん 舞台は基本的には儲かるものではないので、だからこそ今は新宿3丁目に女優たちが働くカラオケバーをやっているというのは大前提としてあるんですけど、私が12ヵ月連続舞台公演を始めた時はなるべくリスクが少なく済むよう、30人入ったら満員の劇場で公演し、キャストも3人程度で、なおかつ、大道具や背景などの舞台美術もない状態でやるようなお芝居をやったので、黒字でした。

12ヵ月連続公演をやるには元手になるお金が必要だと思って、これから始まる1年間のプロジェクトのことを当時寝ながらずっと考えてたんですよね。そこで、「そうだ、ディズニーランドみたいに年間パスポートを売ろう」と思ったんですよ。12ヵ月何回でも見に来ていいよというチケットで、これが1口10万で売れたんです。

――え、売れたの!?劇団には熱心なファンの人がつくものなんですか?

「私は運がいいんです」と話す中川さん
「私は運がいいんです」と話す中川さん

中川さん 高額のチケットが売れたのは、こればっかりは運ですかね。私はたぶん運がいい人なんだと思います。当時もたくさんではないんですけれど出会いで応援してくださる方々がいらっしゃいました。

――1回目をやった時の始まる前と、1回目をやった後の変化ってありましたか?

中川さん ありましたね。12ヶ月連続公演をやると言った時、こんなことをやる人がいなかったので周りの方や、先輩の俳優さんたちから「無理だ」、「無謀だ」、「無茶だ」って言われていたんです。見に来るお客さんからもそういう声をいただいてたんですけど、6ヶ月が過ぎたあたりからだんだん先が見えてきて、周りの声が変わりました。「お前よくやってんな」と言われるようになり、続けることでこんなにも周りの印象が変わるものなんだなっていうことを如実に感じました。

――最後12か月目にはフィナーレを迎えるわけですよね。それはどんな瞬間でしたか?

中川さん 正直、達成感がそこでめちゃめちゃあったかっていうと、実はそうではなかったですね。もちろん、「みこちゃん、お疲れさま!」と応援してくださってる方たちと感動で最高のフィナーレの瞬間をやったんですよ。けど、私の心の中はもう次のことを見てたのでここに浸ってる時間はなかったですね。

コロナ禍で収入が0に――そもそも“刷り込み”から始まった女優人生

コロナ禍のことを話す中川さん
コロナ禍のことを話す中川さん

――12ヶ月連続公演が終わって、次は何をやろうと思っていたんですか?

中川さん その時に、「遅咲会」をプロデュース集団から正式に劇団化するということを考えていました。“素舞台”という舞台セットなしでお金のかからない状態でやっていたんですが、どんどんクオリティを上げた作品を見ていただきたいなと思っていたので、最後の1、2か月の公演だけ舞台セットを組んでいたんです。そこから、よりクオリティの高いものをお客さまに見ていただきたくて、翌年の小屋を5公演分とったんです。ただ、その瞬間に、コロナが来てしまいました。

――舞台ができないですよね。

中川さん はい。アルバイトもしてなかったので、収入が0になりました。そこから、YouTubeでとにかく発信をしなきゃって思ったんですよね。それが仕事なので。

女優になろうと思った理由について伺いました
女優になろうと思った理由について伺いました

――そもそも、どうして女優さんになりたいと思ったんですか?

中川さん 聞いちゃいますか。私は大人たちに騙されました。

――えっ、どういうことですか?

中川さん 小さい頃、かっぷくのいい男の子は「将来はお相撲さんだね」などと言われますよね。それと同様に、私はほんのちょっとだけ顔が可愛かったから「将来はテレビに出るのかな。女優さんかな」と言われ、大人にずっと刷り込まれてたんですよ。

周りから吹き込まれるから「私は将来テレビに出るんだ」なんて思ってしまってどんどん成長していくんですが、一向にテレビで私を見る日はなかったですね(笑)

女優を目指した理由について話す中川さん
女優を目指した理由について話す中川さん

――高校進学とか卒業のタイミングとか、節目節目で他のことをやろうとは思わなかったんですか?

中川さん 思いましたよ。小さい頃、3歳からクラシックバレーをずっとやっていて、そこまで人前に出ることが好きなタイプではなかったんですけど何かを表現するのはすごく好きなタイプだったんです。その後、高校の受験の時にバレエをやめて高校入ってからはヒップホップダンスを始めたので、ダンスをずっとやりたいなと思ってました。

――でも、芸能畑っぽい感じですね。

中川さん そうですね、やっぱり小さい頃からの刷り込みが強かったんだと思います。テレビに出たかったです。ただ、今は思ってないですよ。今は何よりも、仲間と仕事ができることの喜びの方が強いんですよ。だから、どれだけ大きなドラマに呼ばれたり、どれだけ大きな劇場で主演ができるようになったりしても、それは何のためにやるのかが私の中では重要でそれを見つけられない限りはやりたいと思わないですね。

舞台以外にも女優が活躍できる場を!「ActressBarヒキワライ」の挑戦

「ActressBarヒキワライ」について伺いました
「ActressBarヒキワライ」について伺いました

―― 「ActressBarヒキワライ」の話も聞いていきたいんですけど、特徴としてはみんな女優さんがスタッフとして働いてるわけですよね?

中川さん 「女優が働くカラオケバー」をやると決めた時、クラウドファンディングをやったんですよ。クラウドファンディングって宣伝効果がすごく強いんですよね。私の場合、45日間クラウドファンディングをやって常に宣伝が回っている状態の中、中川ミコという存在を知ってくれた女優さんたちが「そういう場所で働きたいです」とDMをくれました。その中には、私と過去に共演した子はほとんどいなかったですね。

――新しい縁が生まれているんですね。

中川さん 私の経営理念みたいなところにもなるかもしれないんですけど、私も経営が初めてだったから、元々知り合い同士で関係性が成り立ってるところからスタートするのは難しいだろうなと思ったんです。今だったらもっともっと寛大で、色々なことを受け入れられるとは思うんですが。

公開取材「ガチアダチ サミット」に参加してくださったみなさん
公開取材「ガチアダチ サミット」に参加してくださったみなさん

――ちなみに、クラウドファンディングをやって、何名の方からいくらぐらいが集まったんですか?

中川さん 265名から5,395,735円ですね。

――ミコちゃんがそれだけたくさんの信用を集めてきたっていうことだね。そもそも、なんで 「ActressBarヒキワライ」をオープンしよう、オーナーになろうって思ったんですか?

中川さん オーナーになりたいとか、劇団の主宰になりたいとか、そう思ったことは今までに1回もなかったんですけど、「ActressBarヒキワライ」をやるにあたって女優の気持ちが1番解るのって、女優である私なんですよね。女優の彼女たちが舞台に上がってない時も自分の活動の宣伝ができて、応援してくれる人が増えて、収入が得られる場所を作っていきたいって思ったから、私がやろうって思いました。

中川さんは女優たちへの想いが溢れる
中川さんは女優たちへの想いが溢れる

――それって、やっぱり業界のことを考えているっていうことですか?

中川さん 私が欲しいって思うものがみんなが欲しいって思うものだって私は思ってます。なので、私も幸せですし、彼女たちもきっと幸せだろうなと思って信じてやっています。

――ペルソナが自分なんだね。オープンして丸2年経って、当初からの変化とか変わらないところとかありますか?

中川さん 変わらないところはお客さまの質ですね。紹介制でやってることもあって、お客さまの質がかなり良いんですよね。

あとは、女優の時は自身がプレイヤーだったので、誰よりも1番速く走って先頭に立ってみんなを引っ張っていくような感じだったんですけど、今は全速力で走りながらも、みんなを後ろから押す、引っ張り上げていくっていう方が強いように感じます。

「オオシマナイト」参加者と交流する中川さん
「オオシマナイト」参加者と交流する中川さん

――「ActressBarヒキワライ」の日常で、こういうことがあると楽しいなとか嬉しいなっていうとこはありますか?

中川さん 女優のみんなが笑顔で働いてくれてるっていうのが1番嬉しいですし、お客さんも楽しんでもらえると嬉しいですよね。

舞台でやっていることと飲み屋でやっていることって、私にとって何1つ変わってないんですよ。「今度舞台をやるから見に来て」とお客さんに言って、観に来ていただくじゃないですか。そうしたら、お客さんたちが「楽しかった、また来るね」、「また誘ってよ」と言ってくれるんですよ。

同じく飲み屋でも「お店をやってるから、飲みに来てよ」と誘って、来てもらうといろんな女優さんたちと話してお酒を飲んで「ミコちゃん、めっちゃ楽しかったわ、また来るね」と言ってくれる。私がやってることは、舞台でも飲み屋でも何も変わらない究極のエンタメだと思います。

今後の展望について話す中川さん
今後の展望について話す中川さん

――最後に、今後の目標や夢を伺ってもいいですか?

中川さん  経営に関してなどもいろいろありますが、今日は若い方や学生さんが多く見に来てくださってるので舞台に関してでいうと、「遅咲会」は2年前から私たちの本公演に学生無料招待をやっています。小学生から大学院生まで、大人でも大学に通っていれば学生証を提示していただくと無料なので、それをもっと広げていきたいし成功させていきたいなと思っています。

9月14日まで「学生無料招待」のクラファン(CAMPFIRE)

小劇場はすごく狭いコミュニティなので、知り合いがいないと見に行かないような文化なんですが、小劇場自体は東京都に約200あって、劇団は6000あるって言われてるので、かなり身近なエンタメなんですよね。なので、せっかくこれだけしっかりと根付いてる文化を衰退させることなく、もっともっと若い人たちと一緒に盛り上げていけたらいいなと思ってます。

――素敵ですね。今日はありがとうございました。

中川ミコさんは、2店舗目となる女優が働くカフェバー「7Story」をオープンするためにクラウドファンディングに挑戦中ですので、ぜひチェックしてみてください。
9月29日まで「7Story」オープンのクラファン(CAMPFIRE)

中川ミコさん

「ガチアダチ サミット」登壇者の中川ミコさん(右)と、聞き手の大島俊映(左)
「ガチアダチ サミット」登壇者の中川ミコさん(右)と、聞き手の大島俊映(左)

登壇者=中川ミコさん

聞き手=大島俊映(トネリライナーノーツ編集長)
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編集補佐=しまいしほみ(トネリライナーノーツ 編集者)
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撮影=山本陸(トネリライナーノーツ カメラマン)
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