「トネリライナーノーツ」が毎月第3日曜に足立区千住旭町にある古民家カフェ「路地裏寺子屋rojicoya」で主催しているイベント「オオシマナイト」で実施する公開取材が、「ガチアダチ サミット」です。

「ガチアダチ サミット」のepisode.5となる今回は、足立区扇にある菓子製造の会社「マルマサ製菓」3代目の原郁惠さんに登壇していただいて、「家業のお菓子で進む、マルマサ製菓3代目の我が道」をテーマにお話を伺いました。聞き手は、トネリライナーノーツ編集長の大島俊映が務めます。
(取材日:2024年11月17日)
菓子製造会社の3代目、知られざる日常

――原さん、簡単に自己紹介をお願いします。
原さん 原郁惠と申します、よろしくお願いします。足立区扇で祖父の代から「マルマサ製菓」というお菓子工場をやっていて、今は父が社長なので、私はその3代目になる予定です。
「マルマサ製菓」の主力商品は「風月堂」が有名なゴーフレットというお菓子です。ただ、そこのゴーフレットとはちょっと違って、和風寄りの味が特徴です。あとは、羊羹巻きやクッキーなんかも作っています。
――菓子製造の工場って普段どんな仕事をするんですか?
原さん ひらすら作っていますね(笑)種から仕込んでいくので、小麦粉や卵を調合して、型に流し入れて窯で焼き、生地が出てきた時には形ができて食べれる状態になっています。その生地ができたあとは、クリームを挟んでいく工程をずっと繰り返していますね。

原さん 菓子を作る機械の大きさが20歩ほど歩くくらいの大きさなので、機械の端から端までは小走りですし、生地を窯で焼くのでとにかくとても熱いです。
――作る際にどの工程が1番難しいですか?
原さん 難しいのは機械の調整ですね。人の次に大切なのは機械なので、機械をいかに長持ちさせて仲良くやってくかが難しいです。50年、60年選手の古い機械だと機嫌が悪いと、例えばゴーフレットは、焼きムラができたり、綺麗な丸にならなかったり、欠けちゃったりするんです。

――そういう時はどうやって調整するんですか?
原さん 「これかな?違うな。じゃあ、これかな?」みたいに少しずつ原因を探っていきます。最新の機械で自動化してる工場はコンピューターで原因がわかるかもしれないですけど、うちはそうじゃないので、1つずつ原因を探っていきます。あとは、父が「これじゃねぇか」と長年の勘が頼りですね。
――菓子工場は作ったものをビジネスとしてお金にどうやってしていくんですか?置いてもらう先を探すんですか?
原さん そこがちょっと難しいところで、販路はいろいろあるんですけど、うちのメインは問屋さんに卸して、問屋さんがスーパーなど置いてもらう売り先を見つけてもらいます。ただ、ゴーフレットはちょっと高級なところにも置いてもらいたいので、問屋さんには卸さず私が営業してます。

――作ってるだけじゃなく営業もしてるんですね。継ぐために作れるようになることを考えないといけないし、その上で営業もしてるって感じですか?
原さん 作るのは、今修行中です。今日もやってきたんですが、難しかったですね。
――どの部分が難しいと感じるんですか?
原さん やっぱり熱いところですね。手の皮がむけちゃうくらいです。始めたばっかりだから5分くらいから始めて、1時間へとだんだんと時間を伸ばしていくんですけど、綺麗に作ることを考える前に熱いことがどうしようという感じです。
熱いのに慣れたら、次は綺麗に作ろうとか、効率的に作ろうなどと考えると2、3年は必要なのかなと思います。でも、職人の世界は2、3年じゃ短いから終わりはないですよね。

――営業の方も聞きたいんですけど、どういう場所に営業にいってるんですか?
原さん 例えば、大学へ営業にいってます。足立区からはちょっと遠いんですけど、明治大学さんには箱のパッケージを明治大学専用にして、売店で売ってもらってるんです。それを帰省する学生がお土産に買ったり、OB・OGが何か集まりの時に購入して配ったりという流れですね。「マルマサ製菓」に営業に来た機械屋さんが「僕、明治大学出身でこれ買いましたよ」と言ってくれたこともあります。
――めっちゃいいですね。
海外での学びを経て足立区の家業へ

――原さん自身の人生も深掘っていきたいんですけど、原さんはずっと日本にいたわけじゃないんですよね?
原さん そうですね、日本には結構いなかったです。コロナ禍で日本に戻ってきましたが、元々は海外に住むつもりで人生設計をしていました。
海外に住みたいと思ったキッカケが、私が小学校3年生の頃、経済発展直前の中国に兄が留学していて私も訪れたんですけど、貧富の差を目の当たりにして衝撃を受けたんです。中国って日本から近い国で、同じアジア人で顔の見た目も似てるのに、「なんでこんなに違うんだろう?」と思ったり、物乞いをする人がいる反面、若いお金持ちな女の子が新車に乗ってブイブイ言わせてたりしたんですよね。
それと、兄が韓国人の子とルームシェアをしていてすごく楽しそうだったこともあって、「私もこんな世界に身を置きたい」って思ったんですよね。

――どこの国に住みたいと考えていたんですか?
原さん その時は特に考えていなくて、ただ、世界と繋がれるような国際的な仕事がしたいと思っていたので、大学生の時にインドネシア約8か月の留学をしました。色々あって交換留学制度を使えなかったので、大学に籍を置いたまま、身ひとつでインドネシアに行って文化人類学の研究をして、「ジャワ人の価値観と食文化」というテーマで論文も書きましたよ。
――その論文、読んでみたいです。その8か月間のインドネシア留学で何を感じましたか?
原さん 自分の価値観がドンドン壊されていく感覚がすごくおもしろかったです。例えば、気温が暑いからお湯が出ないのかシャワーから出てくるのは水だけで、それを浴びるんですけど、髪がバサバサになっちゃって。そもそも、水を身体にかけるって今まではあり得なかった習慣でした。

原さん 最初はホテルに住んだりお金持ちの家にホームステイをしていたりだったんですけど、最後の方は中流以下の人の家にホームステイをして研究をして、ただ、「私、これでもいけるな」と思ったんですよね。インドネシア人になったように感じていました。
――留学の後はどうされたんですか?
原さん 卒業後は3年くらい広告代理店に勤めて、そこの退職後はアルバイトをしながらその後の人生について考えつつ、外国人向けに日本語教師を始めたんです、日本語を日本語で教える。
それから、海外の様々な場所に行きました。当時付き合っていたアメリカ人の彼が今の夫なんですが、彼の父がカリブ海にあるドミニカ共和国にいたので、会いに行って1ヵ月住んでました。本当はヨーロッパに住みたかったんですけどね(笑)

――海外でキャリアとして何をしたかったとかあるんですか?
原さん あの頃は、自分が何をしたいのかがまだ分かってなくて。スキルもなにもなかったけど、アイデンティティである「日本人」ということに誇りをもって、何かそれを活かせる仕事をと考えた結果、「日本語の教師だったら、自分の国を広めることもできる」と思って、海外の大学や日本語学校で日本語を教える教師になろうと思いました。
――めちゃくちゃ素敵ですね。今日来てる大学生にも「やりたいことが分からない」と言っている子がいます。
原さん でも、その時間って大事ですよね。“何をしたいか分からないけど、考える時間”は、宝物だったなって思います。その時は、日本語の教師は“やりたいこと”じゃなかったけど、“これができる”と思って私はやっていたんですよね。それがあったからこそ、今、父の会社を継ぐ準備ができているし、それがなかったら、「私はまだやりたいことをやってない」と言って、たぶん継ごうと思っていなかったんじゃないかな。
――素晴らしいですね。
「マルマサ製菓」で描く人生と夢

――なぜ家業を継ぐことになったのかを聞こうと思うんですが、キッカケがあったんですか?
原さん 新型コロナウイルスが私の人生を変えました。これからも海外に住もうと思っていたんですけど、コロナ禍が広まり帰れないかもしれない状態になったので、急いで帰国したんです。
「マルマサ製菓」ではお土産用のお菓子を作って売っていたんですが、コロナ渦で1ヶ月のうち1日しか工場が稼働しない月もあり、本当に売上がなくなっちゃって。「借り入れもあるし、どうしよう」という時に、「私にも何かやれることがあるな」、「私ができることをやろう」と思い、例えばSNSを使って直売を始めたらお客さんがめっちゃ増えたので、「これ、できるかも」と思ってすごく楽しかったです。
それで、「海外と繋がりを持ちたい」という私の夢は、お菓子ででも実現できるかもと感じました。

――なるほど。実際に3代目として継ごうと決めたのは、そのあとですか?
原さん そうですね。でも、一緒に日本に帰国した当時の彼氏である夫が「一緒に海外に行く夢は?」、「一緒に色んな国で住んで生活しようという話で付き合いを始めたのに、家業を継ぐの?」といった感じで反対していたので、「5年はやってみたい」と伝えてやることになりました。
2、3年ぐらい、彼はグズっていたんですが、今は「やりたいことをやっていいよ。もし何かあったらアメリカに帰れるから」というふうに言ってくれています。
――旦那さんは「マルマサ製菓」で一緒に働いているわけではないんですね。
原さん 一緒に働いていないですね。実は、夫は病気で身体中が痛くて働けない状態なこともあり、もし今後全く働けなくなったら、私が稼がなきゃいけないので、それだったら日本語教師よりは今の会社を継いだ方が稼げるかなというのもあります。愛の力もあって(笑)

――今後、3代目として「マルマサ製菓」をどういう感じに進めていきたいかなど、ビジョンや展望はありますか?
原さん 海外に行きたいという気持ちもあるんですけど、その前にまず日本で確実にシェアを取りたいですね。私はものづくり自体に元々あまり興味があったわけじゃないですが、海外に行って色んなことを感じて、様々な人たちと繋がりを持って、というところに価値を見出していたので、それをお菓子にも乗せたいと思ってます。
“モノ”+“コト(体験)”みたいところを商品に乗せてシェアを取っていきたいと思って、静かなる炎を燃やしていますね。
――めっちゃいいですね。ありがとうございました。
マルマサ製菓
ホームページ
https://www.marumasa-seika.com/

登壇者= 原郁惠さん
聞き手=大島俊映(トネリライナーノーツ編集長)
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編集補佐=しまいしほみ(トネリライナーノーツ 編集者)
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撮影=山本陸(トネリライナーノーツ カメラマン)
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