精神に病のある人たちが地域に戻るためのサポートをする足立区西新井の施設「OUCHI」。運営主体の「平成医療福祉グループ」介護福祉事業部で働く水戸抄知さんが、地域・医療・福祉の現場で出会うヒト・コト・モノを取材するのが「地域・医療・福祉の“かたり場”」です。
vol.2 は、特定相談支援事業所「西新井まちの相談室」管理者の藤木亮さんをインタビュー。「西新井まちの相談室」のことや、専門相談員として常駐する藤木さんの想いについてお話を伺いました。
※この記事は、2023年7月24日にnoteでアップされた『地域・医療・福祉の“かたり場”vol.13「西新井まちの相談室(特定相談支援事業所)」始めました!』を、トネリライナーノーツ編集部が再編集しました。
こんにちは。足立区西新井にある「OUCHI」を運営している「平成医療福祉グループ」の水戸抄知です。
「地域・医療・福祉の“かたり場”」は、私が関わっている地域・医療・福祉の現場で出会うソーシャルインクルーシブなヒト・コト・モノにフォーカスした連載企画です。ソーシャルイングルーシブを日本語にすると、「包み込むような」とか「包括的な」という表現になりますが、それを体現している方や取り組みを取材し「学びを広げたい!共感したい!感動したい!」そんな思いで書いていきます。
人間工学の研修室からリハビリテーションの世界へ
――藤木さん、よろしくお願いします。これまで、就労支援B型事業所「OUCHI CAFE・KITCHEN」で一緒に活動してきましたが、まずは自己紹介を兼ねて、藤木さんのご経歴から伺っていきたいと思います。
藤木さん 特定相談支援事業所「西新井まちの相談室」の専門相談員、藤木亮と申します。元々は、理学療法士として、病院のデイケアや在宅医療に従事し、お年寄りを対象にリハビリを行う他、地域事業として、地域に住まわれているご高齢の方の健康維持活動にも携わっていました。
理学療法士として10年目のところで、西新井にある就労支援B型事業所「OUCHI」に異動になり、その後、「西新井まちの相談室」を立ち上げ、現在に至ります。
――最初は、「平成医療福祉グループ」の病院で理学療法士としてお仕事されていたんですよね。理学療法士の道に進んだ経緯についても、少し伺ってもいいですか?
藤木さん もともと父親が車椅子製造をやっていたので、家業を継ぐつもりでいたんです。なので、大学は機械系の学部を選び、人間工学の研修室で看護動作に関する研究や、医療器具の測定器を使って介護ベッド(多機能ベッド)の研究をしてました。そのことが必然的にリハビリテーションに触れる機会となりました。また、夏休みには父親の仕事の手伝いで、営業先の病院の車椅子修理などをした経験が、後に理学療法士になろうと思ったきっかけになっていたいように思います。
就職活動を進めるなかで「自分はもっと現場寄りの仕事をしたいのかな?」と考え始め、大学卒業後に専門学校で学び直すことにしたんです。専門学校は4年間夜間だったので、昼間は仕事をしていました。最初の1年は病院の看護助手、残り3年はリハ助手で、いずれも資格不要の職種ですが、いろいろ学ばせていただきました。専門学校卒業後は、学校の実習先だった「老健」に就職。その後、新規開設の緑成会病院「平成医療福祉グループ」に転職しました。
開かれた“障がい者福祉”への扉
――そこから10年間の理学療法士としてのキャリアを経て、病院から障がい者福祉の分野に興味を持つきっかけはなんだったんですか?
藤木さん 病院で理学療法士として働く10年の中で、介護保健事業に携わりながら、障がい者福祉の課題に触れる場面があったからだと思います。具体的な取り組みや制度について、もっと知りたいという想いから、当時の上司に相談したんですが、奇しくもグループとして障がい者福祉に力を入れていくというタイミングと重なり、精神疾患のある方のための、就労支援B型事業所である「OUCHI」に関われることになったんです。
――いいタイミングで、藤木さんのニーズと、グループの方向性がマッチしたということですね。そこからさらに相談事業所を立ち上げるということで、理学療法士のキャリアからはどんどん離れていく印象ですが、その辺はどう考えていますか?
藤木さん 「OUCHI」に異動してきた時も、利用者さんにリハビリ職として関わりたいと考えていたわけではないんです。障がいのある方が置かれている状況や、障がい者福祉全般の仕組みの方により興味がありました。
――そんな藤木さんが、「OUCHI」に関わるようになってから5年。ご自身が提供できたもの、また逆に得たものはなんだったんでしょう?
藤木さん 「OUCHI」は、精神に障がいのある方の施設ですが、最初は「ものすごく繊細で、振れただけでも壊れてしまうのではないか?」という思いが強く、傷つけないようにしなければと、勝手なイメージを持って接していました。
藤木さん でも、実際は地域で暮らしながら通所されている方ばかりですし、病状も落ち着いている方が多かったんです。なので、自分の持ち味である「明るさ」を存分に発揮することができましたし、そんなあり方が、現場にも「OUCHI」の利用者さんにもマッチしていたように思います。
「OUCHI」は、利用者さんが安心していられる場づくりが、かなりできていると思います。それは、支援員さんの力によるところが大きいなと。「OUCHI」の支援員さんは、利用者さんに対してフラットですよね。支援する側される側という関係性の前に、ごく普通のコミニケーションで、「OUCHI」の日常をつくってくれているんです。
もちろん、最大限の配慮があるのは大前提です。そこに今は、少しずつ地域の方が出入りしてきてくださっていて、利用者さんの方でも、この状況に少しずつ慣れてきたような感じがあると思います。
藤木さん 「OUCHI」に関わり始めて5年。長いようで短くて、まだまだできていないことが多いです。でも、ここからさらに支援の幅を広げていこうと思った時に、やはり施設の中にいるだけでは限界があるなと感じるようになりました。
もっともっと、自分自身が地域に出て行かなくては、外側の実態や利用者さんの日常は見えてこないと感じたんです。そこが当事者の方々にとっての課題であり、また大切な視点だと思った時に、「それを担えるのは相談支援事業なのではないか?」と思ったことが、「西新井まちの相談室」立ち上げのキッカケとなっています。
――なるほど。
「西新井まちの相談室」はじめました!
――足立区西新井に新たに開設された「西新井まちの相談室」についても伺いたいと思います。
藤木さん 「西新井まちの相談室」は、障害のある人が自立した日常生活、または社会生活を営むことができるように、必要な障害福祉サービス等の情報や地域のヒト・コト・モノの情報を提供している場です。1人1人の悩みごとや相談に乗りながら、ご本人の自分らしい生き方・暮らし方を支援していきます。
「西新井まちの相談室」という名前は、地域に根差したとてもいいネーミングだなと思っています。でも、実際にはまだまだ私は地域のことを知りません。この相談支援事業所を立ち上げることで、私自身が「OUCHI」にいた頃より、もっと地域側に軸足を置く必要があると考えています
だから、今はとにかく色んなところに自ら出向いて、地域のヒト・コト・モノに出会う機会をつくっています。そうやって、様々な関係性を私自身が育むことで、相談に来られる方々に、より良い情報や機会を提供していきたいと思っています。
――藤木さんが自ら「つなぎ役」であるという意図をもって、地域資源と当事者の方の間に立つことで、病いのある方にとっては人生の選択肢が増えることになりますね。「西新井まちの相談室」を、具体的にはどんな場所にしていきたいですか?
藤木さん どんな場所かというより、“相談支援相談員がいない相談室”を目指しています。そのくらい、たくさん訪問をしていこうと思っているんです。
利用者さん宅への訪問は、3ヵ月あるいは半年に1回ぐらいが一般的なんですが、以前見学に行かせていただいた相談支援事業所では、1人に対して、月1回は訪問するというスケジュールで運営していました。やはり、特に精神疾患がある方は調子の波があるので、短いスパンで顔を見に行った方がいいと思っています。そうすることで、決定的に調子が悪くなる手前で、サポートできる可能性が高まります。それに、半年前の事なんて、記録に残したこと以外にどんな話をしたかお互いに覚えていられないかもしれないですしね。
藤木さん まだやってみないと分からないところも多いのですが、ちゃんと向き合うためには大切なことだと思っています。登録される方の中には、日々の生活を整えることが難しい方もいらっしゃいます。ご本人が思い描いているあり方に少しでも近づけるよう、安心して生活できる環境づくりにどれだけ寄与できるかが、1番重要だと思っています。
家の中だけでなく、地域で暮らしていく上での、安心・安全をどう担保してあげられるのか、相談支援事業所として、制度の枠組を超えたどんな支援ができるのか。それをしっかり考えていきたいです。
OUCHI
住所
足立区西新井5-18-14
ホームページ
https://ouchi.support/
Instagram
https://www.instagram.com/ouchi_hmw/
取材=水戸抄知
トネリライナーノーツ記事
https://tonerilinernotes.com/tag/mito/