「トネリライナーノーツ」が毎月第3日曜に足立区千住旭町にある古民家カフェ「路地裏寺子屋rojicoya」で主催しているイベント「オオシマナイト」で実施する公開取材が、「ガチアダチ サミット」です。

「ガチアダチ サミット」のepisode.6となる今回は、足立区入谷にある篠笛の製造・販売会社「大塚竹管楽器」代表の大塚敦さんに登壇していただいて、「大塚竹管楽器、家族と紡ぐ伝統と挑戦」をテーマにお話を伺いました。聞き手は、トネリライナーノーツ編集長の大島俊映が務めます。
(取材日:2024年12月15日)
時間と手間をかける「獅子田流」の篠笛の製造

――まずは自己紹介をお願いします。
大塚さん 有限会社「大塚竹管楽器」代表の大塚敦です。「獅子田流」の篠笛を作っていて、私で4代目になります。よろしくお願いします。
――篠笛ってどんな笛なんですか?
大塚さん 篠竹、通称は“女竹(めだけ)”という細くて長い竹を使って作る笛で、日本の伝統的な楽器です。横向きの笛で、お祭りでよく聞こえてくる音がする楽器ですね。
――「獅子田流」っていうのは?
大塚さん 江戸末期の篠笛の名人である獅子田の伝統に準じて作られてきた篠笛の流派です。大正3年に「大塚竹管楽器」の初代がそこに弟子入りして、今も続いています。

――そういう伝統的な笛って何種類くらいあるんですか?
大塚さん 「獅子田流」だけでも音階や穴の数が違う物などかなり種類があり、各地で竹を切って作った楽器も篠笛というのでもう数知れないくらいありますね。村で作って伝わっているような笛は統一されていないですが、「大塚竹管楽器」の笛は12音階の調律で統一されていて、全国にあります。
――そんな中、篠笛はどうやって作るんですか?
大塚さん 篠笛は竹の節と節の間を使う楽器で竹の太さや長さによって音が決まるので、昔は竹屋さんに「こういう竹を用意してね」とリクエスト購入して、篠笛を作っていました。
昔だと竹は、竿竹や魚を釣る時に使用する“たも網”の柄に使われていたり、土壁の中にも竹を組んで泥を塗って作ったりしてたので、竹屋がそれらに出荷する前の質の良いものを「大塚竹管楽器」が仕入れさせてもらっていたんです。

大塚さん ただ、今は竹の需要がなくなったせいで、竹屋さんが廃業してしまいました。うちのためだけに竹を切ることは、かなり難しいですし。
そういうこともあって、今は家族総出で竹を刈りにいっています。どこからも竹が入ってこないんだったら、自分たちが山に入るしかないので、あちこち探してますね。
――すごいですね。どこの山なんですか?
大塚さん それは言えないですね(笑)笛に使う竹は、節と節の間が長くないといけなくて、太さで音が決まるので、そこも大切なんです。そういう竹を探すのは本当に大変なので、どこの場所かは言えないんです。篠笛業界は、材料を仕入れるのに苦労してますね。

――竹を取って来てからも、すぐに作れるわけではないんですよね?
大塚さん そうなんです。まずは、太さと長さで寸法取りをします。ここで2/3程度は捨てることになってしまうんですよね。それから天日干しで1ヵ月くらい白くなるまで乾燥させるんですが、若い竹はしわくちゃになりやすく使えなくなるので、ここからさらに1/3~2/3は捨ててしまうんです。そのあと、5年くらい寝かせますし、良いものになると10年~15年寝かせます。
乾燥が強い時、寒い時、湿度が高い時、日本の四季のそれぞれの気候の状態で竹に呼吸してもらって、気候についていけない竹は割れちゃうので、それを何年も繰り返すことによって狂いのない状態にさせていきます。
――竹が使えるようになったら、どういう風に笛を作っていくんですか?
大塚さん 完璧に狂いがなくなった状態になったら、さらに寸法どりをして音が出るように切っていき、穴を開けたり塗ったりするなど安価なもので60工程くらいあります。

大塚さん YouTubeなどに篠笛の作り方があがっていますが、「大塚竹管楽器」は全然違う作り方です。うちの作り方は秘伝ですね。そうしてできあがったものが、足立区入谷にある「大塚竹管楽器」のショールームに並んでいます。
――それだけ手間と時間をかけた篠笛ですが、値段はどれくらいなんですか?
大塚さん 1番安いもので1万円を切るくらいですね。高いものだと、「足立姫」という名前の篠笛が日本の伝統意匠である「蒔絵」という装飾を施しているので、30万円くらいです。
少年時代から意識していた篠笛職人の道

――大塚さん自身のこともお伺いしていきたいと思います。大塚さんは、お爺様、お父様と代々篠笛作りをされている家系の産まれですが、少年時代から家業を継ぐことを意識していたんですか?
大塚さん 小学生の頃は祖父や父の姿を見ていたので、卒業文集にも跡継ぎになると書いていたんですが、車好きだったので中学生の時は車の修理屋になりたかったです。
ただ、高校生になり、浅草にある和楽器が置いてある神輿屋さんで「大塚竹管楽器」の篠笛が並んでいるのを見て「これは中々できない、凄い仕事だな」と感じて、高校を卒業後に跡を継ぐことになりました。
――継ぐことに決めてからは、修行があるんですか?
大塚さん 小学生のころから手伝いというと竹洗いで、「竹を洗ったら、お小遣いをあげるよ」と言われていたので、策にはまったというか、それが修行だったのかなと思いますね(笑)

――すごい環境ですね。家業に入って最初は何をするんですか?
大塚さん お祭りがある夏場が最も忙しい時期で、家族全員が必死に働いていて、私も中学生の頃から手伝っていたので、それの延長でしたね。
1人で全てを作れるようになるには通常10年くらいかかると言われているんですが、私の場合は仕事を始めて2年経った当時20歳のころに父が胃癌で入院してしまったので、仕事をいきなり預けられて強制的にやらざるを得ない環境へと変わってしまったんです。
その頃が1番辛かったんですけど、材料を無駄にしながらも試行錯誤していると、急にできることが増えたように感じます。

――お父様が復帰されてからは二人三脚でお仕事されてたんですよね。今は4代目となって、完全に独り立ちしている状態なんですか?
大塚さん 基本的にはそうですね。父の身体のこともあるので、4代目として継ぐ前から1人で回していました。
――大塚さんは家族と仲が良いイメージで、プライベートが家業の延長なのかなと見て取れますが、そのあたりはいかがでしょうか?
大塚さん やっぱり、自分の家が仕事場で常に誰かがいる状態ですし、子どもの頃からキャンプにもよく連れていってますし、気心が知れている状態ではありますね。

――今日、私もTシャツを着てきましたけど、「F+BASE」というキッチンカーをやっていたり、スタジオの中でカフェをやっていたりもしていますよね。あれって、家族の仲が良くて協力がなかったら難しそうだなって思うんですが、そのあたりはどうですか?
大塚さん 家族の協力がなければできないですね。あと、「一緒に楽しみたい」という想いがあるんですよ。笛ばかり作っていた人間なのでキッチンカーは畑違いなんですが、なるべくみんなと外に出ようと心掛けていたので、「キッチンカーを一緒に作っていこう」と声を掛けました。そこからは、家族でキッチンカー屋さん巡りをしましたね。
こんなことがありました。大阪にキッチンカー屋さんがあって、そこに行くにあたって「USJ」のホテルに宿泊したんです。ただ、キッチンカー屋さんには行ったけど、目の前にある「USJ」には行けなくて。「USJの前で写真だけ撮ろう」となったんですが、子どもがドンドン不機嫌になってしまって。「仕方ないよね」とは話していましたが、それは失敗したなと思いました(笑)
大塚さんが描くこれからの「大塚竹管楽器」

――新しいことを準備する時、お子さんたちから「こういう風にやりたい」と言われることもあるんですか?
大塚さん そうですね。キッチンカーを始めた頃は子どもが高校生だったので、「こんなのが流行っているよ」など新しい情報を仕入れたりメニューを考えたりしてくれて、家族会議が楽しかったです。
――ちゃんと意見を聞いてくれる父親だからこそ、言いやすかったんでしょうね。
大塚さん 私は“カタい”ので「それはちょっと」などと言ってしまうんですが、妻が全部吸収してくれています。
――潤滑油的なことをしてくださってるんですね。

――キッチンカーやスタジオ、カフェなどをやっていることは、家業の篠笛に全て繋がってくるんですか?
大塚さん そうですね。キッチンカーをやり始めたのがコロナ渦だったんですけど、あの頃は動きが取れなくて、祭りもなくて、どうしようという悩みが1番大きくて。篠笛の生音を聞いてもらう方法はなんだろうと考えている時に、10年前から気になっていたキッチンカーをやるなら今がチャンスだと思ったんですよね。
キッチンカーは「舎人公園 千本桜まつり」や足立区のマルシェなどのイベントに出店して、スタジオでは篠笛の教室を開いて。篠笛を知ってもらい身近に感じてもらうことを目指して、そのためには何ができるかを考えているので、篠笛を中心に全てをやってきていますね。
――今は高校1年生の息子さんに、家業を継いでほしいという想いはあるんですか?
大塚さん 私は継いでほしいですが、山に入るなど結構過酷なこともあるので、自分から言ってもらわないと長続きしないだろうなとは思っています。
小学生の時は「お父さんの跡を継ぐ」と言ってたんですけど、コロナ渦には会社の苦しい状態を子どもながらに感じ「笛作りはやらない」ようなことを言っていたので、まあそれはそれで仕方ないかなと思っています。

大塚さん ただ、息子は今になってまた、高校を卒業したら「大塚竹管楽器」で働きたいと言ってくれてるんです。ものになるかどうかはわからないんですけど、やってほしいって気持ちは心にあったので、やってくれるなら本当に嬉しいですよね。
――息子さんが継がれたとして、大塚さんの立場から見てどういう風な「大塚竹管楽器」になったらいいなと思いますか?
大塚さん 今考えてるのが、材料がなくて苦しいことから竹の栽培をしようと思っています。自分たちが安定供給できるような材料がないといけないので竹の栽培をして、かつ、捨てる箇所も少なくなればいいなと考えてるんです。
そのことに息子がうまく絡んでもらって、竹の栽培から篠笛作り、みなさんに篠笛を知ってもらうところまでの全部を一貫してやってもらえたらないいなと思います。
――めちゃくちゃいいですね、素敵なお話をありがとうございました。
大塚竹管楽器
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登壇者= 大塚敦さん
聞き手=大島俊映(トネリライナーノーツ編集長)
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編集補佐=しまいしほみ(トネリライナーノーツ 編集者)
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撮影=山本陸(トネリライナーノーツ カメラマン)
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