足立区東伊興にあるおにぎり屋「にぎりむすび」に関わる女性たち「にぎり娘」が、地域で活動している方の拠点にお邪魔して、その方との対談で物語を紐解く連載が「にぎり娘が行く!」です。
第3回のゲストは、足立区東伊興の子ども食堂「あだち子ども食堂」代表の長場美智代さん。対談ホストは「あだち子ども食堂 たべるば」女将で「にぎり娘」の川野礼さんが、司会はトネリライナーノーツ編集長の大島俊映が務めます。
(対談日:2021年1月12日)
長場美智代さん(以下、長場さん)は、2015年10月から始まった任意団体「あだち子ども食堂」の代表です。「あだち子ども食堂」では、月に2回、足立区の東伊興住区センターで子ども食堂を開催していましたが、コロナ渦の現在は、フードパントリーや寄付品の配達を定期的に行っています。東伊興住区センターの一室をお借りして、にぎり娘の川野礼さん(以下、川野さん)が、長場さんにお話を伺いました。
「ご飯を作るぐらいならできる!」って、本能のままに(長場さん)
――長場さんが子ども食堂を始めたキッカケはなんだったのですか?
長場さん 『あさイチ』というNHKの報道番組を見たのがキッカケですね。番組では、練馬の子ども食堂を紹介していて、子ども食堂の存在を知ると同時に、ご飯を食べたくても食べられない子がいると知って、ビックリしました。私は読み語りのボランティアやフリーランスでベビーシッターをしているぐらい子どもが元々好きで、我が子もいるから他人事には思えなくて。「ご飯を作るぐらいならできる!」って、本能のままに始めました。最初は、知り合いのお子さんが来るだけの食事会だったのが、続けていくうちに、子ども食堂を必要とする子達に届くようになっていった感じです。最初は私を含めて4名でスタートしましたが、現在は調理をしてくれる人が11名、現場には来ない広報のスタッフもいます。
川野さん そんなにいるんですね!
長場さん 子ども食堂を必要とする子達に届くようになってきた時に、人手が足りなくなってしまって。私たちの悲壮な姿を見た見学者に、「大丈夫…」ってよく心配されていました(笑)そこから、足立区のボランティアセンターやNPO活動センターでボランティア募集をしたんです。
川野さん それこそ、長場さんと初めて会ったのは、私が「あだち子ども食堂」に見学に行った時だと思います。当時、足立区で居場所支援の仕事をしていて、そこの食事担当だったから、業務の一環で地域の子ども食堂をまわっていました。子ども食堂のボランティアをしている方に、私たちの仕事のお手伝いもしてもらえないかとお声がけするのが目的です。
長場さん 初めましてって、その時でしたっけ。川野さんの人柄なのか、社交的で明るいから、全然初めましての感じがしなかった。現場にいたら、うちのスタッフじゃなかったかな、って思うぐらい。
川野さん 「あだち子ども食堂」の受け入れがオープンなのもあると思います。こういうのをやってくださいね、というのではなく、「見ていってー♪足りないところがあったらやっていってー♪」みたいな感じだから、入りやすくて。
自分が子ども食堂をやるとは思っていなかった(川野さん)
――そこから2人のご縁はどうなっていったのですか?
川野さん 私は長場さんに初めて会った当時、まさか自分が子ども食堂をやるとは思っていなかったんですよ。
長場さん いつか子ども食堂をやりたい、って言ってませんでしたっけ。
川野さん 最初は思っていなくて、活動を見させてもらっているうちに、徐々に考えるようになったんです。子ども食堂を見学して回っていた当初は、人脈もなかったし、当時は足立区に住んでいる訳でもなかったし、どこから食材を調達すれば良いかも分からなかった。でも、色々と見ていくうちに、人との繋がりのネットワークができてきて、もし自分でやる時はこうしようとか、野菜はここに助けてもらえるかもしれないとかが分かって、子ども食堂を“やれそう”だなと思いました。そんな時期に「子ども食堂をやってみない?」とお声がけしてくれたのが、長場さんです。
長場さん ある時、西新井のギャラクシティの運営などをしているヤオキン商事という会社の方が機関紙の取材で「あだち子ども食堂」に来たんです。その日はそれで終わったのですが、後日、ヤオキン商事から「足立区の依頼で、ギャラクシティで子ども食堂をやってくれる人を探している」と、私に白羽の矢が立って。でも、私も2つは出来ないなと思っていたところ、川野さんがいる!ってなりました。
川野さん たぶん、子ども食堂フォーラムかなんかの帰り道だったと思います。長場さんから「子ども食堂をやらない?」ってお声がけをいただいて。そこから色々なやり取りを経て、お声がけから3ヶ月後には、「あだち子ども食堂 たべるば」がスタートしました。
長場さん 振り返ると、不思議なタイミングだったのかもしれませんね。
川野さん 実は、子ども食堂を“やれそうだな”と思ったからといって、“やりたいな”とすぐになった訳ではありません。仕事である居場所支援の食卓や、見学に回っていた子ども食堂で、そこに来ている子どもたちを見て、こういう場所は本当に必要なんだなと、まずは実感して。そこから、実際に各家庭の事情は分からないにせよ、普段はきっと1人でご飯を食べているんだろうなという子どもたちが、最初に来た頃よりも成長していくのが見られたんですよね。他の世代の人たちと交流しながら楽しくご飯を食べるわけですけど、 最初に来た頃よりも、倍の量を食べられるようになったり、野菜を食べられるようになったり、笑顔が増えてきたり。子どもたちのそういう変化を見られたから、子ども食堂を“やりたいな”と思いましたし、今もそれが活動の醍醐味でもあります。
細く長く、続けていきたい(長場さん)
――川野さんは子ども食堂を実際に運営してみて、自分よりも長く子ども食堂を続けてきた長場さんをどう思いますか。
川野さん 長場さんは私が苦手な部分をしっかりやっていて、すごく尊敬しています。例えば、行政との連携の取り方だったり、ボランティアの方との人間関係の作り方というかマネジメントだったりは、私も見習いたいです。
長場さん 続けていると、色々あるよね。でも、細く長く、続けていきたいです。
――長場さんは今後の活動をどうしていくのか、なにかイメージはありますか?
長場さん コロナ渦で開催するのが難しいのもありますが、自分たちが自由に使える場所があればいいなというのは思いますね。公共施設を借りていると、色々な縛りはもちろんありますし。自由に使える場所があれば、子どもたちがいつでも安心して来られると思うので。もちろん、そうなれば新型コロナ対策はしっかりやります。「にぎりむすび」がオープンする「コミュニティKoenてらまちハウス」では、そういう活動もやるんですよね。
――その通りです。「にぎりむすび」というワードが出ましたので、おにぎり屋がこの地域に開店するのはどう思われますか?
長場さん 楽しみです!色んな事をやることはいいと思うんですよね。それこそ、「スナックをやって運営資金を稼ぐぞ」って、冗談で言っていたぐらい(笑)失敗したら、やめればいいわけだし。それに、おにぎりは大好きです。川野さんもおにぎりを握るんですか?
川野さん 営業の担当だから普段は握りませんが、お店がピンチの時は握るかもしれないです。「にぎりむすび」がもし上手くいって、新型コロナが収まっていなかったら、「にぎりむすび」で作ったお弁当を「あだち子ども食堂」で配ったりも出来るかもしれないですね。距離が近いわけですし。
――そろそろお時間になりました。川野さん、最後に恒例の質問をお願いします。
川野さん 好きなおにぎりの具はなんですか?
長場さん 梅干しです。甘くないやつが好き。梅干しって、子どもはあまり好きじゃないんですよね(笑)でも、1番好きです!
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対談=川野礼(トネリライナーノーツ サポーターズ)
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